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You are the カウンター th visitors. Update 2017 Feb 18

3回生の研究室訪問はいろんな研究室を巡る最後のチャンス。
各研究室のことを知るだけではなく、いろんな分野の研究室があり
今の化学(科学)の流れが見えてくるかもしれないので、
いろいろ回ってみるのもいいかもね。

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メッセージといっても大上段に構えて
言いたいことは特にないので、
個人的な体験でも書かせて頂きます。

福井県の出身で、高校ではサッカーまじめに!?やってました。
共通一次(社会2科目はしんどかった)第一世代ということで
京大・工・工業化学科(当時は入試から6専攻別々であった。)
はを受けましたが、なんと大学入試が定員割れ。
で、その後ことあるごとに工化の教授陣から
「君らは工化始まって以来最低だ」とか言われ続けましたね。
その意味で、授業で先生が「おまえらは。。↓↓(thumb down)。。だ。」とかいうのは
20年前から言われてるんですね。(笑)
[注:工学部御三家(工化,機械,電気)が昔は医学部より難しかったのは事実らしい。
 電気の先生の定年退官講演で,当時の蛍雪時代(しらんやろね)をスライドにしてみせてくれた。
 医学部の教授を高校の同級生にもつ某工化の先生の話(又聞きですが)では,
 その医学部教授いわく。「おれはおまえより成績が悪くて医学部にいった。
 その後医学部が超難関になって喜んでると思うかもしれんけども,苦労もしてるんだ,
 お前がうらやましい。 医学部では,小生意気な学生が我々にきびしい質問を授業で
 なげかけてきてしんどいが,工化では学生のレベルダウンでそんな苦労しなくても
 いいんだろう。」だとさ。]


「授業に行くやつは??だ。自分で勉強しないと意味ない。」
という体育会の先輩の言葉の前半だけを忠実に守って
大学の最初の2年間無為にすごしました。でも、今振り返って
あの暇な時代(ただしお金はなかったね。今は、お金も時間もない。!!)
が一番貴重な学びや遊びや体験ができたようにも思います。

今と違って当時は単位はほぼ全員が3回生でそろったし留年も4年まではなし。
(土曜も授業あったし、土曜の3こまめも授業あった。実験は月から金までびっしり。
学力低下とか言われてますが、授業や実験の時間が減っていれば当たり前ですよね。)
有□化学も3回生で早々にドロップアウトしたので、
いちばん化学から遠ざかっている研究室に行こうと決めてました。

それ以来、宇治の原エネ(現エネルギー理工研)に15年ほどお世話になりました。
宇治での、思い出はなんといってもセミナーですね。丸一日、本や論文読むんですけど
式とか全部ホワイトボードでその場で導入するんです。4回生の時は、ほんとに
何が書いてあるのか、何を皆さん議論してはるのかを全くわかなかったですね。(笑)
記号の下に添え字が3つとか、4つついているとかなんじゃこれって(笑)
[でも、何年か経つとG. D. Mahan ”Many-Particle Physics"を輪読して
 Feynman diagramどうのこうの議論してしまうんだから、
 そのとき教えて頂いた先生方にはとても感謝してます。]

今は授業でもわかりやすいように、懇切丁寧に教えてるつもりですが、
全く理解できないことを経験して、その距離感を埋めようと
自分で勉強していくってことも大事かもしれないですね。
人に教えてもらってもその時はわかったつもろでも実は身に付いてないしね。

そういう意味で、研究室ではテーマを自分自身で掘り下げていってほしいですね。
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垣内研は、「界面」というキーワードのもとに
バイオから、電気化学、表面界面化学、fsレーザーを用いた非線形分光、
理論計算(第一原理からシミュレーション)まで、ものすごく幅の広いことをやってます。
ただし、ただ幅広いだけではなく、得られた実験結果を
物理化学を用いて解析するという方向に深めていっており
それが当研究室の特徴であるように思えます。

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友人、親、親戚 「いまどんな研究やってるの?」
学生        「 。。。むにゃむにゃ。。。」 
友人、親、親戚 「で、それが何の役にたつの?」
学生        「。。。むにゃむにゃ。。。」
友人、親、親戚 「へーえ。むずかしいことやってはるんやね。」
学生        「(だったら、聞くなって。心のなかで思いながら)
            いえいえ、大したことやってないんで。」
というのがこれまでのパターンでしたが、これらの問いに如何に答えるか。
研究室でテーマ与えられたときには必ずしも答えが決まってるわけではないので
自分自身で掘り下げていってほしいですね。

------追記---------
教養で数学教えていた森 毅のおっさんもたまには良いこと言ってます。
(採点は階段から答案用紙を放ったとか、カレーの作り方で通ったという噂があるが
容赦なく落とすしたんだな、おっちゃんは。)
以下コメント(カッコ内)を加筆して紹介します。
朝日新聞 2003年12月17日の記事より
....
「 学びは人間関係の中に成立する。」 (そう思う。)
..
「賢(かしこ)に教わるぐらいアホでもできるわ、
アホから教わるのがほんまの賢や。」.... 
.......(ホンマニ解っている人はアホになれるんやろね。
   熱力とか電子移動の→とか今でもよく理解できてないんだけど。。。誰に教わる?) 
....
教官がいい加減だと、学生は努力せざるを得ないでしょう。 
(これは昔の話のような。教官がいい加減というのはいつの時代も同じかも。)
研究室に活気が生まれて、教官も学生も自然に賢くなっていくんです。
こういう賢くなりうる関係が理想的な学び方ではないでしょうか。 
(ありがたいことに、こういう人がたまにいますね。教師冥利につきるっていうんでしょうか。)
...
学力低下が社会問題になってますが、本当に大事なのは、
学力がなくとも 
何とかする力をいかに育てるかです。   (なんとかする時にしか、学力はつかないような。)
難しくて分からない問題も「こりゃ面白いわ」と思えば突破口が
見つかるかも知れないのに,
「分からないといけないから」と、
大人がやさしく説明してしまう。 
(やさしくというか、自分の持ってる引き出しから説明してしまうのかも。
それがヤバイ時もあるように思えます。)
ムリやムダを省いて答えを出そうという、効率主義の教育ではだめ。
 (実験装置自作してプログラム一から書いてどうのこうのって最近しないわね。
  結構楽しいんだけどね。....データはなかなかでてこないのは事実なので。)
...
分からんことを楽しむのも、立派な能力です。........ 
(楽しむということばより「分からんことで遊ぶ」というのが近いような。)

----追記2-----
あのアントニオ猪木大先生も
「バカになれ。夢を持て。」
というジャンパーを最近(2004年1月)着ておられるようだ。

----ということで。
どこの研究室いってもある意味”入れ込ん”だら
(これをM1の時の相転移と呼ぶ人もいる)おもろいんちゃうかなと。

----さらに言えば、
成績順で配属研究室が決まる今のシステムは、ちと好かないですね。
優の数が多いオールラウンドプレイヤーって「どうなん」というとこもあるし、
現役の先生でも学部生時代はまったく学校にきてなかったって
言う人が結構多いけどね。(笑)

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--------  備忘録:最近読んだ本 ------------ 
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全く関係ないかもしれないが、ムーアの法則でもおなじみ
ゴードン・ムーアGordon E. Mooreインテルの共同設立者インテル社名誉会長
は、大学・大学院で”化学”を専攻していた。
NO2の赤外分光による構造決定がCaltechでの学位論文のようだ。
卒業後、半導体研究のスタートを切ったショックレー研究所で
一番役だったのは”ガラス細工”だったと本で述べている。
”インテルとともに」私の半導体人生 ゴードン・ムーア 
玉置直司取材・構成 日本経済新聞社”

Moore even blew his own glass tubes for some of the earliest manufacturing at Fairchild, which needed them to supply gases to the diffusion furnaces.
(http://www.digitopoly.org/2015/09/02/who-is-gordon-moore-and-why-is-there-a-law-named-for-him/)
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科学を学ぶと言うこ と 大野克嗣 岩 波書店‘科学’ 巻頭言・2000年10月号より一部抜粋

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内田 樹(タツル) 「おじさん的思考」 晶文社 2002
より 抜粋(ごめんなさいあまりにもおもしろいので,著作権をviolateしてるとおもいますが。さて,工化の皆様の反論は?)


大学全入時代にむけて


ある予備校の資料によると、はやけれぱ二〇〇八年に、「大学入学志望老数」と「大学定員」が同じになる。これはどういうことかと言うと、その年には「どこ そこの大学でなきゃ、やだ」というわがままさえ言わなけれぼ、受験生全員がめでたく大学生になれる、という「大学全入時代」が到来するということである。 大学全入。それがどういう事態を意味するのか、ちょっと考えてみたい。

(中略)

すでに現在の平均的な大学一年生の学力の水準は(予備校関係者と大学関係者の証言を信じるならば)三〇年前の中学三年生のレベルにまで落ちている。この恐 るべき事実が「偏差値」という指標の詐術のせいで前景化していないだけのことである。

ご存知のように「偏差値」というのは、その人が、ある同年齢集団の何番目あたりにいるかという相対的な「位置」の指標であって、「学力」の指標ではない。 同年齢集団全体がレベルダウンした場合、偏差値からは学力の低下という事実は知ることが出来ない。

さいわい予備校は毎年同じような難度の模試の問題を出題しているので、素点の比較によって学年ごとの学力を比較することができる。その結論が「一年間で一 点のペースで平均点が下がっているという事実である。一〇年で一〇点、三〇年で三〇点。いまどきの大学生がバカに見えるのは,決して私たちの幻覚ではな く、じじつ大学生がどんどんバカになっているからなのである。

(中略)

「大学全入」によって、二一世紀の大学は現在の高校と同じレベルの教育機関にたる。それはそれで仕方のないことである。しかし杜会の運営には、一定数の知 的エリートがやはり必要である。大学が「高校」になってしまったら、「大学」に対応する教育機関が必要となる。これは論理的に自明のことである。

新基準での「大学」に該当するのは、東大をはじめとする一握りの超難関大学と欧米の大学だけであろう。それ以外の大学では、「大学」としての最低限の教育 水準を保つためにも、出来の良い学生には大学に残って修士号を取得することが薦められるようになるだろう。

つまり二一世紀のはやい時期には、「一握りの超難関校+欧米の大学+ふつうの大学の大学院」が現在までの「大学」に相当するようになる。この三つのカテゴ リーの定員の総和が大学志願者数の数%で収まれぱ、だいたい昭和初年の大学進学率ととんとんになる勘定である。

つまり「大学(という看板を出した学校)にゆくのが簡単な時代」とは、「大学(に相当する学校)を出るのがすごく難しくなる時代」なのである。

(中略)

最近の調査によると、小学校六年生の段階ですでに算数の授業を理解できなくなってしまった小学生が過半数を超えている。分数のわり算くらいのところで学校 の授業が分からなくなってしまって,授業を聞くのを止めてしまうのである。

授業を聞くのを止めてしまうというのは、とても深刻なことだ。知識が身につかないからではない。「ものを習う」ための基本的なルールが身につかないからで ある。

「ものを習う」というのは、「知っている人問」から「やり方」の説明を聞き、それを自分なりに受け容れ、与えられた課題に応用してみて、うまくいかないと きはどこが違っていたのかを指摘してもらう、という対話的、双方向的なコミュニケーションを行うという、ただそれだけのことである。しかし、このコミュ ニヶーションの訓練を通じて、子どもたちは「説明を聞くときは黙って、注意深く耳を傾ける」「あとで思い出せるように(ノートなどの補助手段を使って)記 憶する」「質問は正確かつ簡潔に行う」「集中している人の邪魔をしない」などという基本的たマナーを自然に身につけてゆくのである。

しかし、小学校の段階で「ものを習う」ことを放棄し、「ものを習う」仕方そのものを身につけずに大きくなってしまった子どもは、長じたのちも「自分が知ら ない情報、自分が習熟していない技術」をうまく習得することができない。対話的、双方向的コミュニケーションの仕方が分からないからである。

彼らは長い時間人の話を注意深く聞くことができない。人にものを教わるときの適切な儀礼(表面的な恭順さの演技)ができない。なによりも、教える相手に 「自分が何を理解していないか」を理解させることができない。この子どもたちが「学級崩壊」の主人公たちである。

要するに、彼らは「自分が知らないこと、自分に出来ないこと」をどうやって知ったり、できたりするようになるのかの「みちすじ」が分からないのである。

だから彼らには「自分がすでに知っていること、自分がすでに出来ること」を量的に増大させる道しか残されていない。

彼らは、小学生のままの幼児的で自己中心的な自我のフレームワークの中に、TVや音楽やファッショソや...トリヴィアルな情報をぎっしり詰め込むことを 「情報の摂取」だと錯覚したまま成長する。..このような子どもたちはもちろん大学でも何ひとっ学ぶことができない。

(以下略)
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物理学は越境する ーゲノムへの道ー  和田昭允

よくあることですが、相手に負けない議論となってしまって、論理の筋道など
どこかにスッ飛んでしまう。さらにひどくなると、身分や権威を笠に着て相手を
理不尽に威圧する。若い人は、後で何かしっぺ返しされそうで正論が言いにくくなる。
こんなことは科学や技術の社会では全く不毛、百害あって一理無しです。そうは言っても、
最近よく見られるいくつかの大企業凋落の原因をよく読むと、まだあることらしいですね。
でも、集団のモラルが崩れ出すと、もう個人では止められない。
私もこれまでいくつもの研究者集団の世話をしてきましたが、それが一番怖かった。


---寺田寅彦「春六題」1947
 もしそれが成功して生命の物理的説明がついたらどうであろう。
 科学というものを知らずに毛嫌いする人はそういう日をのろうかもしれない。
しかし生命の不思議がほんとうに味わわえるのはその日からであろう。生命の物理的な
説明とは生命を抹殺する事ではなくて、逆に「物質の中に瀰漫する生命」を発見する事で
なければならない。
 物質と生命をただそのまま祭壇の上に並べ飾って賛美するのもいいかもしれない。それはちょうど
人生の表層に浮き上がった現象をそのまま遠くからながめて甘く美しいロマンスに酔おうとする
ようなものである。
 これから先の多くの人間がそれに満足するものであろうか。
 私は生命の物質的説明という事からほんとうの宗教もほんとうの芸術もうまれて来なければ
ならないような気がする。ほんとうの神秘を見つけるにはあらゆる贋物を廃棄しなくてはならない
という気がする。 
---寺田寅彦1948
科学の進歩を妨げるものは素人の無理解ではなくて、いつでも科学者自身の科学そのものの使命と
本質とに対する認識の不足である。深くかんがえみなければならない。

-----中西重忠 「未知」の怖さを知り,正確さ保て  

研究論文というものは、科学者が自己を表現できる唯一の機会である。その質はもちろん正確さが厳しく問われるべきだ。1回でも大きなミスをしたら、その後 の論文をだれが信用してくれるだろうか。意図的でない誤りならば許してやろう、ということは絶対にない。

我々は事実を知り得ても、それが真実であるかどうかは、本当のところはよくわからない。そのためにあらゆる方向から、それが真実であることを示す必要があ る。データを都合の良い論理に合わせてしまうのが,誤りや不正事件が起こる根源ではないかと私は思う。

私は、大学院生に論文を書かせるとき「これが間違つていたら、科学者として生き残れないよ」と言い聞かせてきた。論文を書くことの責任を痛感させるその一 方で、その論文のすべての責任は、研究室のボスにあると考えている。出てきた成果を絶えずいろいろな方向から見て、正確さを保たなければならない。

生データを必ずチェツクする,共同研究の場合には相手の研究室に出かけて私たちが実験することが必須である。定説を書き換える
ようなデータが出たら、別の人に同じ実験をさせて確かめることだつてある。

研究というのは誰もやっていないことに挑むのだから、どういう落とし穴があるかわからない。たとえば,「薬品や試料は使い切ってはいけない」という心がけ は、教科書などには書いていない。再実験をする時、同じ実験条件をそろえるためには絶対に必要だ。

研究を行うことの意味や研究の怖さを、常に後輩に教えていかくてはならない。
---------------朝日新聞2006年3月11日「科学論文不正なぜ続出」
早く論文を発表したい研究者と話題性のある論文を掲載したい雑誌の思惑が一致。
有名誌に載った論文数が,研究機関での地位や資金の獲得に直接結びつく。
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* 日経サイエンス2006年11月号pp.46-54 P.E. ロス The Expert Mind
チェス,クラシック音楽,サッカーなど様々な分野において,「厳しい訓練」は上達を得るためのカギとなっている。

最近の研究で,上達にとって重要なのは,持って生まれた能力よりも動機づけであることが示されている。.......

重要なのは経験そのものではなく,「努力を要する訓練」,すなわちその人の能力をわずかに超えたところでチャレンジを繰り返すことが必要であ る。.......

生まれつきの才能を重視する考え方は,達人やスポーツの指導者の間では根強い。だが,不思議なことにそれを裏付ける証拠はない。....

スポーツや音楽をはじめ,様々な分野の教師たちは,才能が重要だと信じる傾向にあり,見れば才能の有無が判断できると考えている。しかし,実際には,教師 は能力と早熟を混同しているようだ。
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文系就職考

理系から技術者になっても日の目!?をみないし, それならいっそ文系就職できたら外資をと考える学生が多い。某有名T大学工学部では 大学院に進むよりは外資という優秀!?な学生が実際多いらしい。 (研究のおもしろさを味わう前に,巷の情報に踊らされているように 思ったりもするが...)

また,文系の友達に言わすと,お金儲け・会社経営は マネージメントがすべてなんで理系の人間出る幕は少ないとのことらしい。 しかし,マネージメントというが 売るべき物を作れない・持たない組織になればなにをマネージメントするのか? 実際,半導体を生業としている商社の友達は工学部の没落!?を嘆いている。

そしたら過去に文系就職した人はどう考えているのかということを 調べてみると以下の文章が見つかった。ようするに甘い話はないということなのか? 文系就職を考えている皆さまどう考える?


「追記 08Oct」 サブプライム問題で,いわゆる大恐慌がおこりつつある今, ゴールドマンサックスをはじめ外資金融系に文系就職された皆さんお元気で おすごしですか?
>>>
就職先選定のアドバイス-就活メガバンク編 ビーシープロダクツの社長ブログより
2006.11.25 http://bcp.moe-nifty.com/products/2006/11/post_64e7.html

採用活動が始まったので、今後順次機会を設け、大学生就職先選定のアドバイスをしていきます。まず、傾向として、今年の大学生は大手志向がより強く、より強い安定志向が出ます。学生の多くは、大手の企業で、専門知識を積み、キャリアを踏んで独立やベンチャー系に転職する希望を抱きます。そういった中、近年人気上位ランクから外れていた「メガバンク」が今年は相当上位に現れるでしょう。まず、この銀行業界について、理系学生に対してアドバイスがしたいと思います。

私自身は世間で言う理系の出身です。本来文系と理系の分類の価値はないと考えますが、敢て定義しますと、理系は言葉よりイメージでモノを考える傾向を持つ人間で卒業まで一生懸命学業に頑張った学生と思います。銀行業界においては文系中心の世界で、その折角頑張った理系の知識は生かされる場面が少ないのです。ファイナンシャルの道を目指す場合、数学が理論中心であり、生かされる面もありますが、通常業務は文系が優位な言葉の能力勝負で出世が左右されているようです。

そのような環境下、今年は金融システム構築のため、内部監査強化もあり理系学生の大量採用を進めています。システムの採用を強化のため、理系学生に対して本来能力の分にあわない高給を準備し、呼び込みをしています。しかし、重要なことですが、銀行にはシステムの学生を育てきる環境がないと思います。まず、古参の上司は理系技能を評価出来ないのです。次に、バブル期に採用された理系学生だった方々は、文系技能を評価され、苦しい思いをしました。そして、最近までシステムを全て外注化で進めたため、大量の理系人間を放逐しています。

現在、金融システムを新規構築することになったため、再度大量に慌てて中途採用をして内部監査強化を進めて居ます。このように、銀行では技術に対する視点が短いため、腰をすえた育成は難しいのです。理系学生が技術を生かせる環境や時間がありません。技術立国の視点を持つ会社を探してください。これから自分の将来手に付く仕事のことを考え就職先を見て欲しいと思います。


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真のイカ京になるしかない!
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身近な人しかみていないからかもしれないが,どうも 優等生が多いな。先生に言われたことそつなくこなすけど イケテナイ・オモロナイ! むしろ,長いこと留年したり してる人間がすごかったな。すぐに教員のレベルを自力で超えていったもんね。 それが,真のイカ京なんだろうね。

研究室によって人生が決まるような考え方がはびこっているけど, それは受身すぎるように思う。 自分の寄与で研究室を変えたろぐらいの気概が欲しいね。

で,すべての工化生に一言

"Don't smile so much, it can make you blind."
「あまりヘラヘラするなよ。メクラになっちまうぜ。」

Stranglers (Punk Rock Band), ジャン・ジャック・バーネル

( "Something Better Change"3回連続演奏は、特に重要なエピソードだ。初来日時、彼らは熱狂的に迎えられたが、彼らは何故か"Something Better Change"を連続で演奏したのだ。しかし観客は怒る様子もなく嬉しそうにノッている。3回目でヒューはキレて怒鳴り始めた。日本のファンは何がなんだかわからなかった。彼らのメッセージが理解できなかったのだ。その時言ったJJの言葉はしばしファンの語り草となった。"Don't smile so much,it can make you blind.(あまりヘラヘラするなよ。メクラになっちまうぜ。)"http://homepage1.nifty.com/earlinblack/sakusaku/1_1.htm より)


ちなみに,Stranglersは京大西部講堂にも来てます。 見にいけなかったのは残念!(自転車部のStranglers命の先輩はいったそうです) 西部講堂といえば,私もたまたま参加できたPoliceのライブのことを 書いてくれているサイトがありました。感謝。
http://ameblo.jp/okami55/entry-10016843095.html
Policeのライブが本当にあったのかどうかを疑っている人は, PoliceのDVD "Live Aroud The World"に西部講堂での映像(1980年2月20日) のライブ映像あるらしい。1回生の自分が映っているかも。
で,ありました。
Police at 西部講堂1 
Police at 西部講堂2 
PoliceはStranglersに西部講堂でのライブをすすめられたらしい。 StranglersのライブもPoliceのライブと同じく伝説のライブだったらしく, 自転車部先輩から,西部講堂の前の広場が バイクと革ジャンの連中でいっぱいになったとか聞いた。
Oxford, UKのCD屋でStranglersのCDを買おうとおもってながめていたら, 現地の革ジャン着たニーちゃんにおもいっきりガン飛ばされた。
----Stranglers伝説(Netの書き込みから転載・ご容赦を)
ジャンジャックは初来日のライブのとき 皮ジャンにナチ鉤十字マークつけたバカに ステージからダイブして殴りかかってた。

来日した時、レストランに連れていかれたストラングラーズは 値段の高さに不満を言い、駅の立ち食いカレーで済ませた。 金を払うのはストラングラーズではなにのに。

ジャン・ジャック、スーパーのビニール袋にTシャツを何枚か 入れただけで来日していた。

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WW II
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深夜のNHKで,WW IIの経験者のインタビューが流れている。 沖縄戦を戦った山形のおじいちゃんが, 戦友が部下が死んでいくといきに だれ一人として「天皇陛下万歳」とか「お母さん」と言ってなかった, 全員が軍上層部批判をしながら死んでいったというのは驚いた。 また,武器弾薬や食料の補給もなしで戦えっていうのは なんて杜撰な戦略を軍上層部は立てたのかと鋭く言い切っていた。
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南米チリを出発しアタカマ砂漠を横断、アンデス山脈を越える1000キロの旅に成功した リヤカーマン永瀬忠志氏の言葉

安全なところって楽しくない。先が見えちゃうんです。危険なところって、先が見えずに不安になる。でも思わぬものに出会ったり、思わぬことが起きると『やっぱり来て良かった』と思うんです」
アンデス山脈の道中では高山病に。寝ている時に気分が悪くなり、テントを開け何度も吐いた。昼間は30〜50歩ほど歩き1度休憩を入れ、息を整える。その間にも、吐き気は襲ってくる。1日に1キロしか進めなかったこともあった。「もう駄目だ」と思う時に、思い浮かぶのが家族の姿だ。
 「母親が『大丈夫だから、見てるからね』と語りかけてくる。子供が道の前に立っているような気がする。『お父さんが来た』と走って駆け寄ってくるんです」
 幻覚を見るような苦しい旅。しかし、そこには大自然が広がり、現地の人との温かい触れあいがある。薄緑のきれいな水をたたえた湖にピンクのフラミンゴが降り立つ。それは「夢の世界、幻想の世界」。そして最大の楽しみは「お風呂上がりの一杯のような感じ」で、日が暮れるころに飲む缶ビールだ。

 「途中でやめていたら、今はなかったなあという時がある。人との出会いであったり、アンデスのようなきれいな自然を見たりすると『よーしまた歩いていくぞ』となる。やめたい帰りたいと思っている時間が99%だとすると、来てよかったなあと思うのは1%。でも、その1%が大きいんです」
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内田樹氏(神戸女学院大)のブログより

知性の総量というのは世代によって変わるものではなく、その世代ごとに対象を変えるだけである、という村上春樹さんの知性説に私は同意するものである。
今の日本社会では「知性的にならない」ことに若者たちは知的エネルギーを集中している。 無知は情報の欠如のことではなく、(放っておくと入ってきてしまう)情報を網羅的に排除する間断なき努力の成果である。
「知性的になってはならない」という努力を80年代から日本は国策として遂行してきたわけであるから、これはスペクタキュラーな「成功」なのである。
だから、私たちが学生に与えるべきなのは知識や情報ではなく、「知性的な人間になっても決してそれで罰を受けることはないんだよ」という保証の言葉なのである。
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北京オリンピックで団体4位に入った卓球女子「平野」選手がおもしろい。 あれだけガンを飛ばすのをみて昔のスケバ*を思い出した。

平野早矢香は断じて「鬼」ではない。

”やる”か”やられるか”の世界に住む 現代の侍(さむらい)である。

失うことから全ては始まる
正気にては大業成らず

鬼より
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「賃金低い、出世しない」 「工学部離れ」で志願者4割減

大学工学部の志願者が、ここ5年で4割も減少している。この「理系離れ」について、専門家は、工学部出身者が会社内で不遇なことも一因とみる。金融・証券の会社に就職する例も増え、このままでは、技術立国ニッポンは沈没するのか。

文系・理系の生涯賃金格差が5000万円

 「エンジニアが下積みになっています。親や先輩、友人の父親を見て、生涯賃金のことが分かるので、インセンティブが小さいんですよ」

「理系の経営学」などの著書がある東大大学院工学系研究科の宮田秀明教授は、理系離れと言われる現状をこう嘆く。

理系、特に工学部離れは、確かに顕著なようだ。文部科学省の学校基本調査によると、2008年度入学の大学入試で、工学部の志願者数は、前年度比 1割近く減の24万人余。これが5年前に比べると、なんと4割も減っているのだ。予備校の調査では、ここ1、2年は学校側の対策もあってやや持ち直しているという。しかし、ピークだった1992年からの下落傾向に歯止めがかかったとまでは言えないようだ。

工学部離れの理由について、宮田教授は、高度な技術が要求されるにもかかわらず、エンジニアの賃金が安く、幹部に出世しにくいことを挙げる。

 「今はプログラミングやITの知識が要求されるなど、昔より守備範囲が広く技術が難しくなっています。きちんと学ぼうとすれば、医学部のように 6年かかります。しかし、難しいことをしても、それに比例した見返りがありません。日本では、マイクロソフトのビル・ゲイツのような成功例が出てこない。理系離れは、好き嫌い、モチベーションより、構造的な問題ですね」

低賃金については、衝撃的なデータがある。日経ビジネスの8月25日付サイト記事によると、大阪大大学院の松繁寿和教授は、文系・理系両出身者の生涯賃金格差が5000万円という10年前の調査が、今も当てはまることが再調査で分かった、と言うのだ。特に、文系が多い金融・商社と理系が多い製造業の間にある産業格差が、そのまま賃金格差に表れたという。また、理系出身者の方が課長になるのが遅いなどの昇進格差も関係しているとしている。

東大工学部から金融・証券就職が激増

工学部のうち、特に、電気・電子系の人気が落ちているようだ。

学校基本調査によると、2008年度入試で、電気通信学部の志願者数は、5年前より5%減の3968人。日経ビジネスの08年8月19日付サイト記事では、東大工学部の3年次における進学振り分けで、電気・電子系が5年連続で「底割れ」したと伝えている。07年度の進振りでは、電気・電子系3コースのうち2コースで定員に達しなかったというのだ。

その背景として、半導体やディスプレーの開発で韓国に遅れを取るなど、電気系産業の厳しい状況が挙げられている。前出の宮田教授は、「(株価暴落の)ソニーショックで始まりました。情報システム系もそうですが、仕事がきついのに給料が安く企業に魅力がないのが原因でしょう」と分析する。

とはいえ、電気・電子系の技術は、自動車産業や重工業でも必要とされるようになっている。「車は今や、コンピューターのようなものだからです。重工業でも、飛行機の開発が始まっています」と宮田教授。

ところが、新技術開発を担う大学院でも、志願者が減っているというのだ。日経ビジネスの8月26日付サイト記事によると、京大工学部では、博士課程の定員 200人に、京大生は120人ほどしか集まらず、留学生を入れて埋めているという。その背景に、経済的なメリットが少ないことがあるとしている。

宮田教授によると、こうした状況があって、東大でも工学部から金融・証券の会社に就職する学生が増えている。「私の研究室でも、10年以上前は20〜30%に過ぎなかったのが、今や100%にもなるんですよ」。

「まず、産業界を改革しないといけません。そうしないと、賃金がすぐ倍になる外資系に、いい人材が行ってしまいます」と宮田教授。さらに、船舶工学系の4 専攻を改編して東大でシステム創成学科を立ち上げた経験から、「時代に合わせて、大学も会社と同じように変わらなければいけません」と話している。

http://www.j-cast.com/2008/08/30025916.html より

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面従腹背(めんじゅうふくはい:表面上は従うように装うが、内心は反抗すること。)

面従腹背はある意味、社会人の生きる知恵だが,

Teacher 「****ちゃうんか? △△△△をやっておかなあかんわな。」
Student 「はい,わかりました。やっときます。」

数日後,Teacher 「前言ってたあれどうなった?」
    Student 「ハァー??」もしくは「苦笑い」もしくは「沈黙」。

めんじゅうふくはい,お互いに不幸なり!

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京大西部講堂にも来たらしいFrank Zappa 語録

Some scientists claim that hydrogen, because it is so plentiful,
is the basic building block of the universe.
I dispute that. I say there is more stupidity than hydrogen,
and that is the basic building block of the universe. -- Frank Zappa.

科学者は宇宙は水素でできているっていうんだ、宇宙には水素がたくさんあるからね。
でもオレは違うと思うよ。水素よりもバカのほうがもっと多い。
宇宙はバカでできていると思うんだ。(フランク・ザッパ)

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2回生の授業

 今,2回生相手に分析化学1なんての冗談も授業中に言わず教えている。ものすごく 出席率は高い。出席を取っているからか? しかし,いつも出席表をまわす時に後ろめたい。 なぜか?

自分が2回生の時は専門の授業はほとんどなく,語学と体育+αにしか行ってなかった。 語学と体育は確かに出席をとっていたがそれ以外はなかったようにおもう。 皆さん人生で最大に遊んでいたわけです。

勉強にたいするモチベーションは逆に人生で最低だったね。 今でもおぼえているが, 物理3という科目(量子力学)の試験で,Schr\"{o}dinger方程式を書けという問題が あった。その後にその方程式を解くという問題だったとおもう。当然ながら,1回も授業に でておらず,ノートもなし,教科書も買ってないので,(試験に行くこと自体意味がなかった んだろうけども,何か期待することもあったりしたので。。。笑)まったくの白紙で速攻試験場を 後に,完全なゼロ点であったわけ。

ってここまではよくある話。しかし,ここからが自分でも驚き! 人生わからないもので,今はこのSchr\"{o}dinger方程式 の数値解で飯を食っているんだから!どうしてそうなったのかは M1の相転移!ってだけ言っておこう。えらそー!

だから,2回生にあれこれ説教がましいこと言うたびに自己反省をくりかえしてるってことです。 あのころのくそ生意気な自分が今2回生だったら,説教くさいバカオヤジぐらいにしか おもってないだろうって。

で,教訓(オヤジ臭いが)

"Tell me and I forget,
teach me and I remember,
involve me and I learn."
[Benjamin Franklin]

“Tell me and I’ll forget;
show me and I may remember;
involve me and I’ll understand.”
[Chinese Proverb 孔子の言葉らしい?]

ぼーっと聞いてるだけは,すぐに忘れるし,
ちゃんと「教えてる」んだろうけど,せいぜい
(つかっている用語を)覚えてるぐらいかな。
自分の問題としてやってみれば,
理解できるんだろうけどね。
[山本訳]

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濃度??


2,3年前に紀本さん(当時分析化学会近畿支部長)より 最近の若い子は濃度の概念がわからない子が多いという話を聞いた。 また,学生実験の現場でもそのように感じる経験が何度かあったのと KITでの前田先生の経験も直前に聞いていたので, 試しに工学部工業化学科基礎化学コースの2回生にレポートで濃度の問題を問うた。

1) 重量% w/w%,重量モル濃度,容量モル濃度の 定義をきっちりする必要があったのと,濃度の感覚をつかんでもらうために 食塩水を例に挙げ(海水,生理食塩水,味噌汁当のスープの塩分)授業で20分以上説明した。 「しょうないことを教えるな!」との気持を学生さんはもつだろうな!思いながら。

2)説明後,濃塩酸37 w/w%の重量モル濃度,容量モル濃度への換算をレポート課題とした。その際, 溶液の密度,HClの分子量も与えている。

3)翌週,出席者60名弱でレポート提出者20名,そのうち正解者 12 Mは7名であった。レポートを出さないものが多いことにも驚いたが,正解者が半分以下なのには唖然というか大ショック。 分析化学の滴定曲線や緩衝強度とか教えてる場合じゃないと。ましてや,統計力学,量子力学なんて。。と絶望的な気持ちに。

4)塩酸の場合の解答を,丁寧に授業で解説し,その後 しつこく濃硝酸の重量%からの濃度の換算を再びレポートに。分子量,密度も与えているが, 念には念をいれて,答えは16 Mになるからとも解答も教える。
当然,正解率100%に近づくことを期待している。

5) 次の週のレポート結果は,35名正解,6名不正解。2名未回答。35/43 = 81 %の正解率。 解答も教えたのに。もう笑えなくなった。

院生の皆に聞くと,”ゆとり”世代かもと。 大学入試というより高校入試の範疇なのだとか。 有名私立中学入試ではではもっとむずかしい濃度の計算が問題としてでてるらしいが。

また,ある院生氏曰く。 「そういえば,4回生のS君も試薬調製の際に電子天秤の前でやけに長いこと計算してましたよ!?。 なんであんなに時間がかかるかなと思っていたんですよ」と。。。ええっ!

大丈夫なんかな???

濃度の計算を100倍間違えたおかげでノーベル賞につながった場合もあったようだけど???

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装置自作の薦め

「真のオリジナルな実験をするには,装置を購入するんではなく 自作しないといけないんだよね。」とN先生に昔いわれた。理学部の伝統らしい。 というよりは装置購入ができなかった。毎日工具をつかってごりごりと。 楽しかったけど現代の意味での成果はでないよね。

で,桂に桂ものづくり工房ができた。その研修を学生さんと受けてきた。  桂ものづくり工房には,  旋盤,フライス盤,帯のこ,ボール盤,回転砥石等がありまして,  研修は機械系の職員さんによる説明,参加者の実習も伴ったもので  大変有意義なものでした。(京大で一番意味のある授業・研修だったようにおもいます)  工房は,ちょっと行って直ぐに使わせてくれるように使い勝手も工夫していただいてます。  工房の設立には当然ながら大反対があったようですが,  前工学研究科長のN本先生が裁量経費でおしきったようです。  研修をうける人も,若い方を中心に100名以上(予想に反して)となり,  工房が全く盛り上がらないというのは杞憂に終わったようで。

 おもしろい流れも芽生えてきたのでしょうか?

ーーーーー装置等の自作については,以下のような話があります。ーー
The Cavendish Laboratory (Cambridge Univ., UK) has traditionally worked on the 'do-it-yourself' principle working with one's own hands to build a large part of the equipment used. It is fortunately set in an intensely stimulating intellectual environment, and it is fed by a stream of very gifted research students from the Cambridge Colleges and from the Universities of the world. These factors, together with its inspired leadership, have been responsible for its success.       SIR JOHN COGKCROFT O.M., F.R.S.
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08/Oct/21 ーーーーーーーーーー池田峰夫先生ーーーーーーーーーーーーー

本日吉田で「京大夢ノート」なる本をもらいまして (朝8時のキャンパスで笑顔をふりまき走ってきたかわいい女の子がくれたもんで。。。)
ついついうけとってしまいました。

結構おもしろい記事が載ってまして,
工学部の4回生のとき(土木学科向けの)工業数学Bをおしえてもらって池田峰夫先生
(なぜか南部陽一郎氏の対談でも名前がでてたので素粒子論やってはった!?
 そんなそぶりはみせはらへん温和そうな先生でした。若くして亡くなれれたのが残念。
 先生の著作「応用数学の基礎」は垣内研のバイブル!)
の座右の銘は
「学問は,一升瓶を枕にやる」もんだとおしゃっていたそうです。

今、こんなすばらいことを言ってくれる先生は、京大でお二人だけしかしらないな。
H先生とK先生。

-------------------- ご臨終メディア(集英社新書,2005) 森達也・森巣博 著
森巣: フランツ・ファノンが言うように、「無知」というのは知識がないことではない。そんな ことを言えば人は誰でも皆ほんんどの局面では無知なのですから。そうじゃなくて 無知とは、「疑問を発せられない」状態を指す。

。。。

森: 全体主義とは、構造的には無自覚な萎縮・保身の継続的な集積です。

----------------------山本義隆 ”熱学思想の史的展開”
物理や数学などの分野が毛嫌いされている。 必要性をまったく感じないからだということに根ざしている。 積み上げをしないといけないので”しんどい”ということはよくわかる。

化学の分野でも,物理化学というのがあり やはり有機化学や生化学を目指す学生さんには”目障り”でしかないらしい。 4月から物理化学の授業をするので,バックグラウンドを押さえておきたいと思い 山本義隆氏の”熱学思想の史的展開”(筑摩学芸文庫3冊・全改訂をされたということで買い直した。) と朝永振一郎氏の”物理学とは何だろうか”を購入。 山本氏の本の第1巻はかなりおいかけるのがしんどいが,衝撃的な文章が。

今手元に本がないので,(引っ越しの段ボールの中)正確にはかけないが, ”熱力学の定量化(要するに数学ですね。ここがわからずに物理化学は毛嫌いさせるんです。) を推し進めたのは,いわゆる高踏的な動機(真理の探究?)からではなく, 商業主義に基づいた実践(すなわち金儲け)からの要請である。”と。

今や,サブプライムローン問題でつぶれかけているが, ちょっと前まで某国での儲けといえば数学や物理を用いた金融工学であった。 倫理観の欠如の問題のみが指摘されているが, 同様な運用による”お金もうけ”は 伊藤の”確率論”を読めない日本の学卒生にはできそうにもない。

有名国立大の理系でも一部の分野においては,ほとんど数学は出来ないということ。 (センターと2次試験で入試科目にあるにも関わらず。) どうしてこのようになったのは某国による陰謀説であるとさえいう人さえいるが, ”数学や物理”を毛嫌いする 理系の学生が”文系”就職してもと思うのは私だけだろうか?

----------和田秀樹氏 エリートの創造(阪急コミュニケーションズ)
「現代の教育心理学の考え方では、”外発的動機づけ(入学したらバラ色の人生保障される?:山本註)から 内発的動機づけ(研究おもしろいやん:山本註)に内化されるプロセス”が重視されるという。」
これってまさに大学の使命だと思いますが。。。あるいは、上で書いたM1の相転移もそうかもしれません。

「金の力でエリートを動機づけするのは危険極まりない。1)金の競争では米国にかてない。(日本のプロ野球がMLBに食われた。)2)貧富の差の拡大は、めぐりめぐって自分の首を絞めることになる。3)モラルハザード 4)世間の目の抑止力がなくなる。5)治安の悪化」

「文科系の学部出身者で入試の際に数学を選択したものとしないものでは、年収に107万円の差(共通一次試験以降) (京大西村和雄教授の調査)」
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Adios and Good luck!
KU guys.
----------------------- 京大アメフトHPの水野彌一監督のおことば(http://www.gangsters-web.com/team/index.html) アメフト部員向けに書いておられるんでしょうが、今の自分にとても響きます。!!


スポーツで強いチームを作る王道は、条件を整える事。 それは優れた選手を集め、環境を整え、コーチングスタッフを充実させることである。 しかし国立大学である京都大学では、私立大学と同じような条件整備はほぼ不可能である。我々の場合は、大学からの物理的支援は練習のためにグラウンドを使わせてもらえるだけである。あとは全て自助努力によるので、全ての条件は決定的に劣っている。その中でも、人材面において望んだ選手を入学させることが全く不可能である、という条件は、求める人材を推薦制度等によって数多く入学させることができる私学との大きな差である。

このような状況は昔もそうであったし、今も変わる所はない。その中で日本最多の4度の全日本一を勝ち取ったのは、人間その気になれば不可能と思われる事も可能になるという事の証左である。

アメリカンフットボールは個人競技ではなくチームスポーツである。技術のウェイトが比較的少ない格闘技である。さらには攻守交替制であるため、戦術が重要であることなども、他スポーツより京大に有利であるだろう。しかしそんな事は決定的な要因ではない。最も大切なのは、やる気なのである。だが、元々困難で厳しい挑戦であるから、それでもやる気になるというのは容易なことではない。肉体的な強さは人によって差があるように、精神・意志の強さにも違いがあるから誰もができる事ではない。

京大生の場合、入学時と比べて体重は1.3倍、筋力は3倍成長するというのは普通であるが、技術はそれ以上に向上する。さらには、精神的な成長は比較にならない。練習によって肉体を鍛え、技術を身に付ける以上に心を強くするのである。

我々は、アメリカンフットボールを楽しめと常々考えている。しかしここで勘違いしてはいけないのは、スポーツを楽しむということと、楽しくスポーツをするということとは全く意味が違うということである。本当に楽しいのはレベルの高いプレーをする事である。そのためには上達する事が大切である。そのためには効率的なやり方が重要となる。しかし初心者にはそれは分からない。やりたいようにやっていたのでは上達は望めない。そこで重要なのが基本である。基本は長い間に培われた、優れた方法論である。だが、技というのはできて初めてわかるものである。繰り返し練習すると体が勝手にやってくれるようになる。そうなると意識を外に向けて行動できるようになる。初めて基本が生きてくるのである。そうすると今までと別次元のプレーができる。そこまでくると自分というものが見えてくる。自主的にやれるようになる。もっと上達したいからより一層練習する、上達するからより一層やる。エスカレートしやめられなくなる。熱中するとかのめり込むというのはこの事で、こうなるとしんどくても辛くても関係ない。本当に楽しい事である。

こうしてやっていてもやがて壁にぶつかる。やってもやっても上手くならない。一方勝つために自分は上達しなければならない。これは大変辛いことである。今この国では良いイメージを持って前向きにチャレンジしようが主流である。しかし志が高ければ高いほど困難も大きいから、成功の見込みの少ないチャレンジはバカのする事というのである。これでは高い志は果たせない。その厳しさに耐えて挑戦し続けなければならない。これは逃げ出したくなる自分との闘いである。この闘いに勝つのは大変難しい。しかし、闘い切る事によって、自分は自分に負けなかったという自信が生まれる。自分には負けないという自信、これがあるから基本的に楽観主義になれるのである。困難な時、厳しい時こそ前向きになることが成功の最大の秘訣ではないだろうか。こんなに価値あるものはない。また、どうすれば壁を破れるかわからなくても、ある時「あ、そうか、これだったんだ」という気付きがあるものである。その時壁は消え、新しい自分、新しい世界がある。よしんばある時点では壁を破れなくても、自分の限界を知ることができる。そうするとその自分をそれなりに生かす知恵が生まれる。より一層向上する意志が生まれる。そのようなありのままの自分を知る成長を通して、謙虚であることの大切さを学ぶことができるのである。

このように自己探求と同時に、チームスポーツの勝利はチームの勝利であることを忘れてはならない。選手は全員チームの勝利に貢献しなければならない。フォアザチーム、チームのために何ができるか、自分をどう生かすか。 貢献の仕方は皆違う。エースQB、オフェンスライン、基本習得中で強い相手との対戦にはまだ出られない者、さらにはマネージャーやトレーナー、監督もコーチも全員がチームの勝利のために存在するわけである。フィールドでは全員が自分の役割を果たす、あいつならやってくれる、あいつは逃げないという信頼があるから、自分のプレーに専念できる。そういう仲間と共にチームの勝利という共通の目標のために共同して努力をすることを通し、真の信頼を築く。このような仲間は一生の財産である。

この他にも学ぶことは数多くあるが、勝つ事を追求して自分というものが見える。そして自分を生かす知恵と自分に負けない自信を得る。これが学生スポーツの最大の意義であろう。

たかがスポーツ、されどスポーツである。

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理解の五段階レベル:オリジナルアイデア 宇治原エネ研・湯塩先輩

1 何の事をいっているのかさっぱりわからない。
2 「言葉」はどこかで聞いたことがある。
3 どの本どの文献に書いているあるのかを指摘できる。
4 本や文献をみながら(他人の論理で)他人に説明する事ができる。
5 その場で黒板等をつかいながら(自分の考え方で,できたら複数の方法で)他人に説明することができる。


わかってるつもりでも大概のことは、3,4以下かもしれません。

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「数理科学」特集 物理と数学の難所

...
編集部:最初に勉強したときに感じた難所でも、時間が経つに連れて 理解できてくるようなものもあると思うのですが、学部で学ぶ範囲の 中であるでしょうか。

米谷民明(東大総合文化):そうですね。例えば、よく聞かされたのは、 熱力学というのはただ聞いただけでは分からないもので、 教えて初めて分かるものだと言われましたね。確かにこれはある程度 真実を突いていて、自分で実際の現象と突き合わせながら、人に教えて みたり追体験することで本当に理解できるということだと思います。 ...

---------------------------------------------At Konan I'm back! on June 7, 2010
神野直彦 「分かち合いの経済学」 岩波新書 2010/4/20

東大木村忠正氏調査
「この社会では気をつけていないと誰かに利用されてしまう」
    日本の学生8割YES FINLANDの学生YES2割
「ほとんどの人は善良で親切である」
   FINLAND学生8割YES 日本の学生YES4割に満たない

ジニ係数 :1995年 米,独,日本,仏,スウェーデンの比較
 財政介入前のジニ係数が一番低いのは日本
 (所得の分配が最も平等)
 財政の所得再分配機能は,アメリカよりも小さい
従って,所得分配が不平等化(小泉改革以降か?)すれば,再分配機能が弱いので一気に格差がうまれる


ポスト工業化社会 知識社会「分かち合い」の原理が決定的な意義をもつ。

知識をストックすることに意味はない。惜しみなく与え合うことで,知識の知識による生産が可能になる。

真理を探究する知識人にとって,真理を探究することこと自体が喜びでありインセンティブである。
知識は他者と共有しあうオープンな集合財と考えるほうがよい。
知識へ支払われる報酬を目的として,他者を蹴落とすような競争が繰り広げられるような社会では知識産業は活性化してゆくことはない。

知識を売り歩くのは知識人ではなく知的技術者である。
知的技術者は,知識を分かち合い,知識を創造することなど望むべくもない。
知識社会における知識の革新は,金銭的報酬という願望ではなく,知識を分かち合い学びあう衝動によってもたらされる。

工業化社会では,生産効率重視 ピラミッド型組織
知識の生産には,真理を探究する頭脳集団が研究分野別に組織されそれが相互に連携する大学の組織が有効
長い年月をかけて,”大学”を育ててきたが,日本法人化:”大学”を工業化社会の組織にしてしまった。

知識社会で,基軸的な役割をはたす”大学”が存在しなくなった日本では,大学が”大学”を再創造することなしには
未来を築くことができない。・・・新自由主義の大学改革は大学を真理探究の場から,命じられた目標を疑うことなく遂行する
知的技術者を養成する場としてしまった。それによって,あらゆることを疑い既存の価値に異議を申し立てる真理の追究が
困難となった。その結果,新しい知識を創造していくことが必要とされる知識社会への転換を不可能にしてしまったのである。

「競争力,競争力」とその必要性を連呼しながら,逆に日本は国際的な競争力を急速に劣化させている。
それは,古びた工業化社会のルールに呪縛されているからである。ルールが変わったという事実に気がつかねば
分かち合いが必要な時期にそれを否定する行動に血眼になる。


競争原理から協力原理へ:分かち合いの原理の3つの要素
1.存在の必要性の相互確認
2.共同責任:社会の構成員が共同責任を負うが故に,構成員が協力して実施する共同作業となる
3.平等

家族,communityでの分かち合い

盆栽型教育 栽培型教育


知識社会では,個人個人が自らの能力を高めるだけでは不十分である。同時に,社会の構成員同士が信頼し合い,個人が
高めた能力を惜しみなく与え合うことが必要である。信頼し合うの人間の絆,すなわち社会資本が求められるのだ。
この個人の能力と社会資本という二つの要素をあわせて「知識資本」と呼んでおくと,知識社会においては,
この知識資本の蓄積こおが重要な鍵をにぎることになる。

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日本の学生が日本の企業から見放されてきている!
学力不足だそうな! 採用後の教育もかなわないとのことで,採用予定数すべてとらないという話も聞く! 
ここまでなめられていいのか?若い衆!  学力で見返すべし!   2010.July.27

パナソニック採用1390人、海外比率最高の8割に
 パナソニックは24日、2011年度に、国内外で1390人を採用すると発表した。海外事業を拡大するため、海外の採用数が全体に占める比率は過去最高の約8割まで高まる。
 国内新卒者採用は前年度より210人少ない290人。内訳は、事務系60人、技術系230人で、1990〜92年度の新卒採用数の1400人と比べると、2割強の水準だ。国内の新卒採用が300人を割り込むのは35年ぶりだ。
 海外の採用者は350人多い1100人で過去最多。04年度の5倍以上に増える。
(2010年3月25日 読売新聞)
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転向 2010.Aug.2

「小学校から中学校へと,自分の先生が唯一正しい答えをもつと信じて,先生の心の中にある正しい答えを念写する方法に習熟する人は,優等生として絶えざる転向の常習犯となり,自分がそうであること(転向者:註)を不思議と思わない。」鶴見俊輔(思い出袋,岩波新書)

どこかの国の政治家を思い出しますが,
いち早く教師がいいかげんであることに気付いて,
自分の個を確立する場が大事かもしれません。
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日本の経済/GDP 2010.Aug.2

1台の機関車(ものづくり産業 GDP25%)が
3台の客車(サービス業GDP75%)を
引っ張ている状況 (堀 紘一)
理系:機関車/文系:客車?
機関車がひっぱらねば進まない

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2010/8/2
卒論の書き方(神戸女学院大 内田樹先生のサイト)より あまりもすばらしい文章です。ぜひ4年生の皆様はご一読を!

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2010/8/9
日本の人事システム(神戸女学院大 内田樹先生のサイト)より 就活応援歌でもありますが,学生さんへの愛も感じられます。就活で苦しんでいる人はご一読を!

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大卒2割 就職せず…今春10万6000人
進学で先送りも

 大学を今春卒業したが、就職も進学もしていない「進路未定者」が、5人に1人に相当する約10万6000人にのぼることが5日、文部科学省が公表した学校基本調査の速報で分かった。  昨年度比約3割の増加で、10万人突破は5年ぶり。一方、大学進学率が過去最高を更新するなど、高校から大学、大学から大学院など上位校への進学率は軒並み上昇した。就職を先送りし、進学に切り替える学生が増え、大学卒業後も行き場が見つからないという厳しい現実が浮き彫りになった。  調査は、毎年5月1日現在でまとめている小・中・高校や大学など教育機関に関する基本統計。それによると、今春の大学卒業者約54万1000人のうち、就職も進学もしていない進路未定者は10万6397人(昨年度比約2万5000人増)だった。  内訳は、男子5万9116人、女子4万7281人。進路未定者のうち1万9312人はアルバイトや派遣社員など、一時的な仕事に就いていた。8万7085人は卒業後もアルバイトなどをせず、大学院や専修学校、外国の大学などにも進学していなかった。  国公私立の別では、私立が約9万3000人と全体の9割近くを占めた。また、進路未定者の6割超はいわゆる文系で、「私立文系男子」の苦戦が目立った。  留年生も進路未定者とほぼ同数の10万6254人おり、うち7万2434人は「1年の留年」。進級時に留年した1〜4年生も含まれるが、文科省は、就職浪人や国家資格を目指す5年生も多いとみている。  一方、高校卒業者の大学・短大への入学志願率は61・8%(前年度比0・6ポイント増)と過去最高。大学院等への進学率も13・4%(同1・2ポイント増)に伸びており、就職を先送りしたケースも多いとみられる。
[解説]留年も10万人 産学で対策を
 今回の調査は、学生が就職できない問題について、もはや学生の努力不足のせいにはできない現実を突きつけた。  特に見逃せないのは、進路未定者とともに明らかになった10万人超の留年者の存在だ。文科省は、留年者には海外留学や休学中の学生も含まれるとしているが、就職できずに留年した人たちも多い。読売新聞が国公私立の4年制大学735校を対象に実施した調査では、就職留年は7万9000人と推計される。進路未定者と留年者を合わせると、大学から社会に受け入れられなかった学生は相当な数に上る。  毎年、これだけ多くの進路未定者がでれば、日本の将来にも大きな悪影響が出るだろう。大学と経済界が歩み寄り、長期的な視点で人材育成や雇用に努めるなど、待ったなしの対策が求められている。(社会部 梅村雅裕)
(2010年8月6日 読売新聞)
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大卒10万人、行き場なし
文科省 苦戦500大学を支援

 行き場が見つからない大卒生が10万人を超えた。5日公表された文部科学省の学校基本調査。「いつまで就職活動をすればいいのか」。  景気の先行きが不透明な中、就職がままならない厳しい現状に、卒業生からは強い不安の声が漏れる。  「どの会社も採用試験は学生があふれている。就職できるという自信は打ち砕かれた」  今年3月末、東京都内の中堅私立大人文学部の男性教授(64)は、20社以上の採用試験にすべて落ちた卒業生の嘆きを何度も耳にした。従来、ゼミ学生15人ほどの大半はメーカーなどへの就職を決めていたが、 今年は結局、3人が就職浪人になった。  「これほどの逆風は初めてではないか。どんな基準で選ばれているのか、学生はいぶかっている」と教授はいう。  「いつまで就職活動を続ければいいのか……」。就職先が決まらないまま、3月末に私立大を卒業した大阪府高槻市の女性(22)はこう嘆く。  3年生の終わりから1年以上にわたって応募した企業は100社以上。多くは書類選考も通らず、面接まで進めたのも15社程度だった。「新卒」扱いでなくなる今年度はさらに条件が厳しくなるが、「くじけそうになっても、頑張るしかない」と自らに言い聞かせている。  一方で、「十分に就職活動をせずに卒業する学生が2、3割は増えている印象だ」と語るのは、若年無業者(ニート)の自立を支援するNPO法人「育て上げネット」(東京)の工藤啓理事長。人付き合いが苦手で、サークル活動もアルバイトもせず、「就職は無理」とあきらめてしまうケースが増えているという。  和歌山大では学内に「メンタルサポート室」を設け、教授らが相談に応じている。同大学保健管理センター所長の宮西照夫教授は「卒業できても、就職という一段高いハードルでつまずき、ひきこもる事例も目立つ」としている。  厳しい就職事情を受けて、国や大学では大学生の支援に乗り出している。  文科省は就職戦線で苦戦する大学約500校に対し、民間企業での人事担当経験者を就職相談スタッフとして雇う費用を負担。インターンシップ(就業体験)を卒業単位に認定するなどしている大学にも1校当たり約2300万円支援している。また、青山学院大などでは、就職留年した学生の授業料を減額。北九州市立大では卒業延期制度を始め、通常の4分の1の授業料で1年に限り、留年できるようにした。関西大、近畿大、大阪工業大などでは、卒業生にもメールやホームページで求人情報を提供している。  若者の雇用問題に詳しい本田由紀・東京大教授(教育社会学)は、「定職に就けない問題を若者の努力不足のせいにしても仕方がない。問題の本質は、教育をないがしろにする就職活動の早期化や長期化、いったん卒業すると就職が不利になる企業側の姿勢にある」と指摘する。  また、高塚雄介・明星大教授(心理学)は「大学教育でも、学生が自らの適性や素質を見いだせるようなキャリア教育の機会をもっと設けるべきだ。雇用側も、多様な人材を幅広く受け入れ、生かしていく視点が欠かせない」としている。
(2010年8月6日 読売新聞)
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理系>文系、年収60歳で170万円差

 理系出身の方が文系出身より所得が高いという調査結果を、京都大経済研究所の西村和雄特任教授や同志社大経済学部の浦坂純子准教授たちの研究グループがまとめ、24日に発表した。「『文系の方が高所得』という通説を覆す結果で、理科離れの歯止めにつながるのでは」としている。
 インターネットの調査会社を通じて2008年6月に、国内の大学を卒業した就業者を対象に出身学部や年収などのアンケートを実施した。1632人(平均43歳)から回答を得た。
 理系出身の644人の平均年収は約680万円で、文系出身の988人の平均約580万円より100万円高かった。
 調査結果に基づくシミュレーションによると、25歳から60歳までの全年齢で理系出身者の収入が文系出身者を上回り、25歳で60万円だった年収の差は、60歳では約170万円にまで拡大した。
 これまでに。大企業の役員は文系出身者が多く占めている。ある難関大学1校に限ってみると文系出身者の方が高収入との調査結果があるが、西村特任教授は「理系の方が職業選択の幅が広がるため、高所得につながっていると考えられる。理系には難しいイメージがあるが、見返りもあるという結果になった」と話している。
【 京都新聞 2010年08月24日 】
今回の調査とは別に、大阪大学の松繁寿和教授は、特定の国立大の文系・理系学部出身者を比べ、生涯収入は文系が約5千万円多いとの調査結果を報告している。西村教授は「大学を特定せず全体で見れば理系の年収が多い」と指摘。両教授とも「2つの結果は矛盾しない」と話している。 (日経2010年9/25)

理系学部出身者と文系学部出身者の平均年収の比較調査の結果について 2010年8月24日 KUホームページ
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2010/100824_1.htm
 西村和雄 経済研究所特任教授らの研究グループは、理系学部出身者と文系学部出身者の平均年収の比較調査を行い、理科系離れの実態等を検証しました。
問題意識
「文系学部出身者は、理系学部出身者よりも高所得である」という通説がある。 そのため、理系学部離れが拡大している。これは本当か?
先行研究との対応関係
浦坂・西村・平田・八木[2002]「数学学習と大学教育・所得・昇進」日本経済研究46号 ⇒数学受験は所得に正の影響を与える(主要3私立大学社会科学系学部出身者のみを対象)
今回の調査目的
* 国公立、あらゆる入学難易度(偏差値)、理系を含むあらゆる学部出身者も分析対象に加える。
* 特に入学難易度(偏差値)と出身学部(文系・理系)の違いによって先行研究で得られた結果がどうなるかを検証する。
* その上で、「問題意識」として挙げた通説を検証する。

平均   N  標準偏差
文系学部出身者  584.4 988 385
理系学部出身者  681.1 644 387
図1: 出身学部別平均年収⇒通説と相反する結果

年齢 25 30 35 40 45 50 55 60
文系 306 429 530 610 669 707 724 720
理系 366 494 604 697 771 828 867 889
図2: 出身学部別所得プロファイル(男女計)

得られた知見

 数学学習の所得に与える影響が、出身大学の入学難易度によってどのように異なっているのかを、日本の調査データを用いて実証的に分析した。得られた知見のうち、特に以下の2点は非常に示唆的であった。

 第1に、難易度Aの大学出身者ほど、高い人的資本が求められる仕事に就いており、数学学習が効果的に機能していることが示された。

 第2に、理系学部出身者のほうが文系学部出身者よりも高所得であるという結果が得られた。この結果は、「理系離れ」が進む現在において重要なメッセージを投げかけると考えられる。
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2010/10/26
教育のコストは誰が負担するのか?(神戸女学院大 内田樹先生のサイト)より 
 「教育の受益者は学生自身(および保護者たち)である」ではなく,学校制度を有している社会集団全体である。 共同体の存続のためには、成員たちを知性的・情緒的にある成熟レベルに導く制度が存在しなければならない。それは共同体が生き延びるために必須のものである。
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2010 Nov. 2
ドイツのメルケル首相(2005Nov-)は化学者,しかも物理化学(量子化学)で学位をとっていた!
しかも,旦那さんも量子化学者!
詳しくは
http://en.wikipedia.org/wiki/Angela_Merkel

After being awarded a doctorate (Dr. rer. nat.) for her thesis on quantum chemistry[10] she worked as a researcher.

[10] Merkel, Angela (1986) (in German). Untersuchung des Mechanismus von Zerfallsreaktionen mit einfachem Bindungsbruch und Berechnung ihrer Geschwindigkeitskonstanten auf der Grundlage quantenchemischer und statistischer Methoden (Investigation of the mechanism of decay reactions with single bond breaking and calculation of their velocity constants on the basis of quantum chemical and statistical methods). Berlin: Academy of Sciences of the German Democratic Republic (dissertation). 


例えば,
* Schneider, F.; A. Merkel (1989). "The lowest bound states of triplet (BH2)+". Chemical Physics Letters 161 (6): 527-531. doi:10.1016/0009-2614(89)87033-2.

そこで,キャッチフレーズ 量子化学を勉強して,首相になろう!
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2010.11.09 (神戸女学院大 内田樹先生のサイト)より 立国の道すじについて 
(略)

過去30年間、日本の教育行政は「教育立国」に失敗した。 申し訳ないけれど、この期間の政府主導の教育施策は「文化的な力」の育成にはほとんど関心を向けなかった。 それよりは、「金が稼げる力」の育成を最優先したからである。 「わずかな手銭で短期的に巨富を回収できる能力」こそが優先的に開発されるべき人間的資源であるというイデオロギーに教育行政は振り回されてきた。 「英語ができる日本人」のプログラムを起案したとき、文科省はそのHPに堂々と「経済競争を勝ち抜くため」と書いた。 英語ができないと金儲けができない。 それが教育行政のトップが英語教育の必要性を基礎づけるために使ったロジックである。 爾来、日本の生徒たちの英語学力は底なしの低下を続けている。 こんな「下品」な教育目的で活性化するほど人間の知性は「下品」に作られていないからである。 教育行政が掲げるべきは、「世界を領導しうる文化的な力」の育成である。 一身の利益とか一国の繁栄のためというような「せこい」話ではなく、世界の人々のために、万有のために各自の知的パフォーマンスを高めようというような「おおきな物語」によってしか、人間の知性は活性化しない。

それでもまだ遅くはないと私は思っている。 「教育立国」というのは、博士号を何人がとったとか、外部資金をいくら集めてきたとか、特許の件数がいくらになったとか、そういう「せこい」枠組みで論じる話ではない。 そのような既存の枠組みの中での自分の相対的なポジションを上げて、年収や地位を上げることを人生の目標とするような小粒な人間を何十万人集めても教育立国などできるはずがない。 イノベーティヴな才能が「ここでなら気分よく仕事ができる」という環境を整備すること、それが教育立国施策の「すべて」である。 イノベーティヴな才能は、その定義からして既存の「能力査定枠組み」で格付けすることがむずかしい(「できない」わけではないが)。 だから、教育立国のための最優先の条件は、なによりも「才能」の定義をひろくゆるやかに取り、短期的・実利的なアウトカムを求めず、研究し、創意工夫をこらす人々を気長に支援することに尽きるのである。

そのような制度が整った国に、世界中の才能は「蜜に群がる蜂」のように集まってくるだろう。 観光立国も医療立国も環境立国も、どれも魅力的なオプションである。 それが成功することを私もつよく望んでいる。 けれども「文化立国」という以上は教育において「世界に類をみない制度を持っている」ということがなくては済まされない。 イノベーティヴな才能は、イノベーティヴな制度にしか惹きつけられない。 そのような制度を設計することが教育行政の最優先課題であり、外交戦略をふくめて国家戦略の最優先課題だと私は思っている。
(略)
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就活考 2010.Dec.22

世の中就職難と騒いでいるが,大卒の皆がいわゆる大企業をめざすのが原因でもあるようだ。

就活で苦労して,大企業(求人倍率0.5倍)に入っても三年で辞める(へたすると戦力外通告されて辞めさせられる)なら, 求人倍率5倍の中小で頑張ればいいと思うのは僕だけだろうか?  (大企業は学生をはなからバカにしてない? 代わりはいくらでもいると思っていない? ましてや外国人中心に採用したりしていない? 要するに大事にされてないことない? 自分のところで人材を育てられない会社は究極つぶれるとおもわない? )

トヨタの中村氏(クラウンからプリウスまで)の話のProiject-Xをみてそう思った。(あまり共感してくれないかと思ったが,ビデオをみて 大学1年生の女子が中村氏をかっこいいと言った!)

どこであれ腕をみがかねば(学力をつける・実験できる・考察できる)生きていけないのなら, 何百社まわるよりも,大学で。。。と思うのであるが。。。
もったいないことです!

会社に入ってから大学にいるとき以上に勉強する人って多くないのではないだろうか?  大学の時勉強しておけばよかったという声はよく聞くが,その度に心の中でパンチかましてるんだよ!
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2011年のICASで,下村さんは講演や挨拶もすべて下書きをつくられていたとお聞きした。長崎の出版社の本をみつけた。以下の部分は耳が痛いですね!
2011,July.23

下村脩 「くらげに学ぶ」 長崎文献社
pp. 150―pp.153

… NSF Grantは3年毎の更新,一般に更新成功率は約25%であり,研究成果をあげないと連続してGrantをえることは難しい。Grantで自分の欲する研究を長期間継続するのは実にきびしいことであり … Grantをえても申請の20%くらいは削られた。一度は更新に失敗して6ヶ月Grantが切れたことがある。そのときには私自身のサラリーはなんとかしたが,妻(研究の助手)の分は払えなかった。…

日本の若い研究者に考えてほしいこと

日本の若い研究者に考えてもらいたいことがある。私は,NSFかたのGrantで約35年研究を続け,その額は1年間に10万ドルから20万ドル(1ドル100円で1000万から2000万)の範囲であったが,overheadとサラリーをさし引いた後,私が実際に研究のための薬品やガラス器具購入,採集旅行などにつかえる金額は1年に約1万ドル(1ドル100円で100万円)に過ぎなかった。日本でよく研究費が足りないと仕事が進まないとの苦情を聞くが,私はそれを成果をだせない本当のりゆうであるかどうか疑わしいと思う。言い訳にすぎないのではないだろうか。

。。。(学会には強い要請でない限りあまりでなかった。私の研究面では全く役にたたず,唯一の利益は旧友との親睦であると結論したからである。。。学会で得られる情報よりも正確な情報が学会誌でえられる。研究に熱中している時に親睦のために数日費やすことは私にはできない。)。。。

もう一つ日本の化学研究者,とくに化学系の研究者にはかんがえてもらいたいことがある。日本では,教授になると研究テーマは自分で決めるが,実験は研究室の学生や他の研究院に任せて自分ではしない人が多い。教授は忙しくて自分で研究する時間が乏しいのは普通である。しかし常識的に考えて,その研究室で一番能力があるのは教授自身であるのに,教授が直接研究にたずさわらないのでは最高の結果は望めない。教授が自分以上の能力があるひとを探してくるのは一法であるがそんな幸運はめったにないであろう。最高の結果を望むなら,教授はできるだけ自分で実験を行うべきなのである。私の師,平田義正先生は講義と教授会の時間以外はいつも大部屋の中の自分の実験台で実験しておられた。私にはとてもできそうにもないと思うが,私はその姿をみて激励されたものである。…

pp231-232
私の研究人生

… 私は3人の恩師によって示された道をたどったのであるが,その道をたどるには,本書でのべたように,並ならぬ努力が必要であった。

 生物発光の研究には未開拓の部分が多く,新しい仕組みの発生生物を研究するための方法論はまだ存在しない。したがって新しい仕組みの発生生物を研究するには,まず研究方法を開発あるいは創造しなければならず,その過程では必ずと言ってよいほど壁に遭遇する。しかし近頃の科学者は一般的にいって,既知の知識を発展させ,応用するために教育訓練されていて,創造性に乏しく,壁を突き破るような仕事には適しないことが多い。したがって私は自分の研究で他の研究者の助けを期待することができないので,独りで研究することになる。つまり,私は研究を統率するとともに働き蜂であらねばならず,すべてを自分で行わなければならないのである。言ってみればそれは孤独な研究であるが,私が孤独な研究を好んだのではなく,必然的にそうなったのである。以上は,読者の中には私のような立場の方もおられると思うので記した。
 孤独な研究では他人と研究上の議論や討論をする必要がないので,私は毎日黙々とただ自分で思考し,実験を行い,一日中一言もしゃべらないことが多かった。しかし,そういう生活の結果として,英語も日本語も段々と話しづらく下手になってしまった。それは目的を達するための一つの犠牲であったろう。しかし,書く英語は別である。研究成果は普通英語で発表するから,正確な英語を書けなければならない。美文でなくてもよいから,厳密に正確に表現するように努力した。そのためジョンソン博士から教わった「少しでも言葉に疑問をもったら辞書を調べる」という習慣が非常に役立った。
 考えてみると私は研究上で他人と競争した記憶がない。1970年代にマーレン・デルカとホタル発光の反応機構について争ったことはあるが,それは彼女の論文の過ちを正すためで競争ではなかった。生物発光の化学では,研究題目は豊富であるが研究者が極めて少ないからである。また他人と競争したことがないのは私が流行を追う研究を嫌うからでもある。
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東大先端研 児玉龍彦氏の発言 2011.Aug.

「いままでの原子力学会や原子力政策のすべての失敗は、専門家が専門家の矜持を棄てた。
国民に本当のことを言う前に政治家になっちゃった。経済人になっ ちゃった。
これの反省なくしては、
われわれ東京大学の再生もありえないし、日本の科学者の再生がありえないと思っています」

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2012/6/26 アントニオ猪木がC大阪のグラウンドに現れ清武らに闘魂注入

清武は自分がプレッシャーに弱いことを猪木に相談した。
猪木は,視線を宙に巡らせた後,静かにこう切り出した。
「バカになれ。とことん,バカになれ。恥をかけ。とことん恥をかけ。格好つけた自分を捨てて,恥をかいて,かいて,かきまくれば, 本当の自分,潜在的な自分がみえてくる」
清武は,真剣なまなざしで猪木節にうなづき次の言葉を待った。
「すぐエロい話になるけども。。若い時は,元気をどこかでばらまかないと。そういうときは,街にでたり。。。それ以上は言えないけど。ワハハ。。。」
チャンチャン!
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青の物理学 Sky in a Bottle by Peter Pesic (青木薫訳 岩波書店)がおもしろかった。 2012/12/28

 基本的に空はなぜ青いかという話だけど,奥が深い。当方は,密度の揺らぎによるレイリー散乱が原因だと習った記憶がある。この本では,その解明に至るまでの長い歴史をひもどきながらも,密度揺らぎというのは正確に言えばむしろ誤解で,空気を構成する分子によるレイリー散乱が主たる原因であると断言している。以下にそのエッセンスを示す。ただし,分子による散乱だけでは完全に説明できないこともあるという主張もしている。
 レイリー散乱は,1)光の波長に比べて散乱体(分子)の大きさは非常に小さく,2)散乱体は希薄にランダムに分布しているという仮定に基づいている。散乱される強度は,波長λの4乗に反比例している(1/λ4)。太陽光の可視光は,Roy. G. Biv (Red Orange Yellow Green Blue Indigo Violet)の順に波長が短くなっており,赤い光は散乱されずに,青・紺・紫の順でより散乱されることになる。そうであるならば,空の色はむしろ紫あるいは紺色になるはずである。事実,空からの散乱光のスペクトルは,400 nm(紫)にピークをもっている。日中の人間の目は,550 nm(緑)に一番敏感で,青はその8%,紫は1%未満となるので,空が人には青く見えるということらしい。もし大気の密度が増加するとレイリー散乱の公式は成り立たなくなり,密度が30倍になると散乱光はオレンジ色(600 nm)に最大強度をもつことになるらしい。
 実際の散乱光の強度分布は,微粒子による散乱(Mie散乱:散乱粒子が波長と同じ程度の大きさになる場合),オゾンによる吸収も考慮にいれる必要がある。  夕焼けが赤くなるのは,波長の短い光がレイリー散乱されると言われているが,分子だけからの散乱を考えても,あれほど真っ赤にはならない。74年に行われたシミュレーションによると,大気がオゾンを含まないと日没時の天頂は黄色あるいは白になるらしい。オゾンを加えると青色になる。さらに微粒子(エアロゾル)をいれると,濃度の増加にともない地平線近くの赤や黄色の領域が広がり色も濃くなるとのことである。ちなみに,火星の夕焼けは青い!(写真が http://www.gaia.h.kyoto-u.ac.jp/~kushio/scientist/faq/13.html にあります。)火星の大気は、地球大気の1/100〜1/200しかなく波長の短い光は散乱されず,大量のほこりにより赤い光が散乱されるためとか。
 空からのレイリー散乱光は,偏光もしている。空気分子が,太陽光(偏光はしてない。偏光ベクトル方向はランダム)を受けて双極子放射(分子(分子軸はランダムに配向なので微小球とみなす。)が微小ダイポールアンテナとなる。)をすると特に太陽からみて,直角方向は太陽光が非偏光でも偏光する。Hecht ”Optics” Chap.8.5に非常にわかりやすい図があるので参照されたい。(以下のサイトの図17にもある。) (更に詳しくは http://fnorio.com/0123Radiation_by_alignment_oscillating0/Radiation_by_alignment_oscillating0.html を参照ください。)
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甲南大教職教育センター年報・研究報告書2012年度  巻頭言 2013/3/27

 教職課程の学生の相当数が、いわゆるスクールサポーター制度を利用したり、課外講座の一環として学校現場体験講座に参加することで、小、中、高等学校の現場を見せていただいています。本学においては、そうした学生達によるスクールサポーター年間報告会を設けていますが、この場で聞かれる学生の声は「教員はやりがいのある仕事であることが実感できたから、自分も頑張りたい」、「わずかではあるけれど、生徒と信頼関係が芽生えた」等、好評価なものが殆どです。さらには、「もっと学校現場に関わることで自分の意識も高まるだろうから、来年もサポーターを続けたい」という声さえ聞かれます。  しかし、そうした学生達の反応に、気にかかることが一つあります。学校現場を経験することで、教員という職業に大きく近づくことができた、と学生達が誤解をしてはいないでしょうか。もし学生達の中に「現場での長い経験がいい教員を作り出す」と思っている者がいたとしたら、それは残念なことだと言わざるを得ません。語弊があってはなりませんが、現場で経験を積むことは必要条件ではあっても、十分条件ではないからです。  やはり何といっても、本学のような教育系ではない総合大学の教職課程の学生がまず一番に据えるべき教員の必要条件は、専門知識の蓄積に他なりません。中学生(の教科書)を教えるのに専門知識など本当に必要でしょうか?確かに、中学レベルの教科書が理解できない学生は皆無でしょう。けれども中学生自身が抱く疑問や質問は、単純そうでも、専門的な知識がなければ答えられないものが多々あります。例えば英語の時間に出てきそうな、「What time is it?、I will let you know when.、Give me some water.の各文中に出てくる`t'は、どれも同じ`t'の音に聞こえないのはどうしてですか?」という問にあなたは答えることができるでしょうか?  現実的なこととして、生徒達は授業をしてくれる先生がどれほど物知りか否かをものの見事に見抜きます。知ったかぶりは通用しません。知らない、分からないことは正直にそう認めればまだいいのですが、そういったことが度重なると生徒からの信用は得られません。授業で信用を得られない先生は、生徒指導もままならぬことは誰もが認めるところです。  以下に示す文章は、私のゼミの卒業生が語った内容です。20年近くを経た今も繰り返し思い出される一節をもって拙文を閉じることにします。学生諸君も頭の片隅においてくれれば幸いです。  「私がこれまで習った先生方の中には、分からないとか知らないとかいう語彙を持っていない人達が決して少なくはなかった。何事に付けても知ったかぶりをするのが、むしろ滑稽に感じられた。でもこれとは反対に、実験やデータ、文献を通して自分はここまでは知っているが、それ以上のことについて根拠のない推測は控えるといった謙虚な姿勢を持った先生の授業や講義はむしろ分かりやすくもあり、刺激的でもあった。まさしく知的な時間だったと思う。」
教職教育センター所長 福島彰利

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孫崎享メルマガ 2016/2/29
「助言-若い世代へ?羽生善治氏「報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションを継続してやっていけるか、それが才能だ」

将棋の棋士や囲碁の棋士は最も厳しい人生を送っている人々と思う。

 勝負がある。勝つ人と負ける人がいる。頭脳のゲームだ。いろいろ言いたいことがあっても、負けは負けだ。負ければ自分が劣っていることを突き付けられる。

 彼らがどのように考え生きているかを知るのに、彼らの著作を読む。手元に将棋の羽生善治氏著『決断力』があるので見てみたい。

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 以前私は、才能は一瞬のひらめきだと思っていた。

 しかし今は、10年とか20年、30年と同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。直感でどういう手が浮かぶとか、ある手をぱっと切り捨てることができるかとか確かに、個人の能力に差はある。しかし、そういう事より、継続できる情熱を持てる人の方が、長い目でみると伸びるのだ。

 奨励会の若い人達を見ていると、一つの場面でパッと閃く人は沢山いる。だが、そういう人達がその先プロになれるかというとそうでもない。逆に、一瞬の閃きとかきらめきのあるひとよりも、さほどシャープさは感じられないが同じスタンスで将棋に取り組んで確実にステップを上げていく若い人の方が、結果として上に来ている印象がある。

 どの世界においても若い人達が嫌になる気持ちは理解できる。周りの全員が同じことをやろうとしたら、努力が報われる確率は低くなってしまう。今の時代の大変な所だ。何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。

 誰でも、時に落ち込んだり、挫折感を抱いたり、飽きたりもする。

 一つのことに打ち込んで続けるには、好きだという事が根幹だが、そういう努力をしている側にいると自然にいい影響を受けられるであろう。

一回一回の集中力や速度、時間などを落としても、毎日少しずつ続けることが大切だ。

「天才は一パーセントの閃きと99パーセントの努力である」というエジソンの言葉は、どの世界にも共通する真理をついた言葉である。

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 羽生善治氏は将棋の中終盤でマジックをみせられたかのような信じられない手を指して勝利し、「羽生マジック」と呼ばれ、閃きの代表選手のような人だけに、自動な努力を説く言葉には重みがある。

「挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦する。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている」とは凄い言葉だ。多分、「報われるか否か」より、「すること自体に楽しみを見つけられるか」ではないだろうか。

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内田樹氏 twitterより

「新入生へ一言」には「好きなことをしてください。
ご心配なく、何をしても必ず失敗します。
若いんだから、それは仕方がない。
でも、人に言われて不本意ながらしたことが失敗しても、 その経験からはあまり学ぶものがありません。
自分で選んだ生き方の失敗からはたくさん学ぶことができます。」
...

東大新聞の3人の学生記者たちのインタビュー90分。
最後の方の質問で「グローバル教育どう思いますか?」と訊かれたので、
「宗主国に決して逆らわない属国のテクノクラートを育成するためのものです」とお答えしました。
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勉強の方法(新・物理入門 山本義隆 駿台文庫)

第一は,数式を目で追ってはいけない。必ず手で追う,つまり自分の手で納得ゆくまで実際に計算すること。

 第二は,概念が一般的で抽象的なので,定義がいまいちわからないのが普通である。それをはっきりとさせて自分のものにするには, 実際に具体例を使うことが必要である。つまり練習問題でトレーニングすることです。解らなければ答えをみてもいいので,必ず手で追いかけてください。
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宿題がおおいねん! MY オリジナル

週一コマ90分の授業で10問ぐらいの宿題を出してますが,宿題が多いとクレームがつきます。 (字汚い,滑舌悪い,咳き込みがうざい,宿題多い,スライド早い,性格きびしい。。。等々で講師変われといわれますが。。。 塾や予備校と違って代役はおりません!残念でした!)
しかし,だいたいはこれで静かになります。MY オリジナル

米大学例えばスタンフォード大学では講義と宿題でみっちりしごきます。たとえば、50分の講義につき3時間分の宿題が出ます。 50分授業が週3回 (14週)ありますが,1週間に5科目(1日3科目)とるのががmaxと言われてます。
何故なら,15時まで授業があったとして, それから3科目分の宿題をすると9時間かかるすなわち深夜12時まで勉強しないといけないからです。

1科目あたり米国では週3 × 50 分 × 14週 = 2100 分 ですが,日本では 週1 × 90 分 × 15週 = 1350 分で,1科目あたり64.2%しかありません。 また,米国では一週間に1科目あたりの宿題にかける時間= 3時間×3 = 9時間 (1題に30分かけるとすると週18題)ですが,本授業では週10題 300 min=5時間で,55.6% にしかならないわけです。授業が少ない分を考慮に入れても,55.6/0.642 = 86.6 %ですね。
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村上さんのところ(村上春樹)

Q: 女子大での授業に悩んでます 2015/2/21
。。。私は今、女子大に勤めていますが、学生があまりにも授業を聞いてくれないため悩んでいます。 こちらがどれだけ入念に準備していっても、彼女達はとにもかくにも黙って90分座っているのが苦痛でしかたないようで、 おしゃべり、スマホ、化粧、飲食とやりたい放題です。なぜか唐突に着替えはじめる学生がいたり、 失恋した学生が急に泣き出したり、お菓子を配りはじめる学生がいたりします。 ちょっとでも注意しようものなら「チッ」と舌打ちして不貞寝です。 年がら年中他人の子の反抗期に付き合っているようでとても疲れます。 とはいえ、学生が一方的に悪い訳ではなく、おもしろい授業で学生を引きつけられない私も悪いのです。 教えたい内容はたくさんあるのですが、話芸もなく、一発芸もできないので、パッと学生を振り向かせる授業ができません……。 教える内容以前のところで、自信をなくしております。こんな私に聴衆を引きつける術を伝授してください。 (ミツアナグマ、女性、30歳、大学講師)

A:村上春樹氏  僕はアメリカの大学でしか教えたことがありませんが、みんなすごく熱心に授業にのぞんでいますし、 ちゃんと予習もやってきます。積極的に発言もします。少なくとも私語はありません。 それは僕の授業だけじゃなくて、ほかの授業でも(僕が見る限り)だいたいそうです。日本とアメリカで、 どうしてそんな違いが出てくるのでしょうね? 不思議ですね。僕が一度、「来週までにこの本を読んできてね」と課題を出したら、 一人の学生が手を上げて、「村上先生、僕らは高い授業料を払ってここで学んでいるんです。もっとたくさん課題を出してください」と言いました。 すげえなあと思いましたよ。

お仕事大変だと思いますが、がんばってくださいね。日本はどうなるんでしょうね? 
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セルフ・ハンディキャッピング( 自己ハンディキャッピング、Self-handicapping)
アメリカ発の臨床心理学者黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。

http://blog.goo.ne.jp/smf405/e/ac9414add0d181ea112a63066571e153
は,本学科の学生には耳が痛い話かもしれないが,重要な示唆を含む! 失敗をさらけ出すことでしか成長できないよねー!

ここから黒川氏のブログーーーーーーー
 期限付きの仕事や創作活動、試験勉強、論文や課題、プロジェクト、イベントの準備などに取り組んでいる人にしばしば見られる不適応に、 セルフ・ハンディキャッピングという現象がある。ハンディキャップとは、ご存知のように不利な条件のことで、 これは読んで字の如く、自己にハンディキャップ、不利な条件を与える、という行為だ。一種のセルフ・サボタージュともいえるものだ。

    具体的にこれはどういうことかというと、 良かれ悪しかれはっきりとした結果のでるプロジェクトに取り組んでいる人が、 意図的、或いは無意識的に、何かしら自分にとって不利になる条件を取り入れて、成功する確率を下げてしまう、ということだ。

 たとえば、大学入試の試験勉強に取り組んでいる人が、お金に困っているわけでもないのに12月に入って突然アルバイトを始めたりする。 或いは、長期の旅行に行ったり、友人たちと連日遊び歩いたり、勉強はそっちのけで、問題を抱えている恋人を助けることに没頭したりする。 絶対的な勉強量が不足したり、意識が別の方に向いてしまっているので、明らかに受験生にとっては好ましくない状況である。 興味深いことに、こうした行為にでる人の多くは、能力はあり、きちんと努力すれば望んでいる結果を出せる人たちであるということだ。
 
 なぜ彼らはこのように自分で自分の首を絞めるようなことをするのだろう。

 矛盾するようだけれど、彼らはこのように自分を成功しにくくすること、自分を貶めるようなことによって、 自分を守っているのだ。なぜなら、このように、(うまくいかない)「環境的、外的」な要因、理由を設けることで、実際に失敗したときに、 自分の能力の問題ではなくて、外的、環境的な問題があったから失敗したのだと結論付けることで、 自己疑問という根本的な問題と向かわずに済むからだ。「もう少し準備する時間さえあったら、うまくいっていた」、 「もう少し心の余裕があったらうまくいっていた」、という素晴らしい言い訳が成立するのだ。 このトリックのさらに素敵なところは、逆にこのような不利な条件下で事がうまく運んだときに、 「あれだけ不利な状況だったのに、自分は成功した!」、「やっぱり自分はすごい!」、「もっと時間があったらもっと自分はできたんだ!」、と、 さらに自己愛を満たす材料も同時に提供されている、ということだ。

 このように、「どちらに転んでも」、「それなり」のメリットがあるこの戦略は、 常に「それなり」の報酬、つまり、自己愛の保護、或いは促進、という機能があるので、強化され、 永続されがちとなる。意識しなければ、これは人格に組み込まれ、ごくごく自然にいろいろな場面で展開されることになる。

 問題なのは、こうした戦略をほとんど無意識的に常套手段としている人たちは、いつまで経っても自分ときちんと向き合うことができないし、 失敗する恐怖、自分の能力が期待していたほどでないかも知れないことに直面する恐怖に直面して、 その中で本当に努力することでしか手に入れられない本当の充足感、満足感、深い自己受容、潜在能力の引き出し、 といったものを経験することもないことだ。  いつまで経っても、「自分は本気になりさえすればすごいんじゃないか、でもそうでなかったらどうしよう」、 という境地のまま、何か大きな飛躍を経験できずに時間を過ごしてしまう。
失敗したり、自分の「現在の」能力を失敗によって正確に把握することで、能力は高められ、 将来の成功の可能性は高められるわけだから、その「どちらでも一応大丈夫」という安全圏から抜け出さないと、 本当のことは始まらない。それから、実際にやってみるとわかるけれど、今まで恐れていたようなものは、 実は幻想であって、実体のないもので、現実はそれほど怖くも悪くもないのだ。 本当に恐ろしいのは、努力しきれないライフスタイルを続けているうちに、好機を逃してしまう、ということだと思う。

 以上は割りと分かりやすい例だけれど、もっと見えにくいセルフ・ハンディキャッピングの例として、 たとえば、恋人とのコミュニケーションにおいて、本当はもっと連絡を取らなければいけないことが分かっている状況や、 もっと話し合いが必要だと認識している状況で、なぜかそうしない、そうできない、ということが考えられる。  コミュニケーションをおろそかにすることで、恋愛関係の消失、破局の確率は高くなるのだけれど、 実際に関係がうまくいかなくなったときに、自分の性格、能力、容姿など、個人的な要因ではなくて、コミュニケーションが足りなかった、 という表面的な理由で自分とも相手とも向き合わずに済むということだ。それで破局が訪れたら、その人はもちろん傷つくけれども、 実際に相手と向き合って駄目だったときの破局と比べたら、 その傷はずっと少ないし、同時に、向き合って失敗したことで成長できる機会も逃してしまっている。そこで何とか自尊心が守られたので、 そのパターンが無意識的に繰り返されていったりする。  また、見捨てられる恐怖、嫌われる恐怖を強く経験している人が、 いざ嫌われたときに、「コミュニケーションが足りなかった」、という理由が存在することで、それ以上内省することもない。
 逆に、コミュニケーションが足りない中でなんとなく恋愛が続いていたら、 「これだけコミュニケーションが不足しているのに自分達はうまくやっている。もっと話し合ったらもっと関係はよくなるかもしれない」、 という可能性を可能性のまま温存して心の平衡を保っている、という可能性もある。

 このように、具体例は枚挙に暇がないけれど、ひとつ共通して言えるのは、 セルフ・ハンディキャップを続ける限り、その人の自己愛や自尊心は適当に守られるかもしれないけれど、 本当に欲しいものは永遠に手に入らない、ということだ。それは文字通り、長い目で見ると、自分を損なわせる行為である。

(オリジナル執筆日:2011-12-23 20:59:18)
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世界的に自分の都合の悪い事実は「alternative fact」とか称して
無視し,感情論をあおって好き放題する世界になってきました。「post truth」の世界だそうです。 行きつく先は,貧困・戦争で,へたをすれば直接の影響を受けて殺されるか,
現在の「戦前」に何してたのか?との責めを後世の人々から受けるのではないかな?

ここまで世の中が不安定になったのは,やはりゼロサムゲームのなかで,ずばり極度な「儲けすぎ」「冨の集中」に原因があるように僕には思う。
アイヌの人々は,1匹は神様(自然)に,1匹は共生する回りの動物に,1匹は自分にと,鮭を捕りすぎないようにしていたと聞く。

そこで,以下の話を思い出しました。この話を僕はすきですね。 出所不明

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、
女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、
漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、
子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」
(今それやってねんけどーー!ジャン・ジャン!)
2017/2/18

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K原先生より聞いた母校でのお話です。立て看完全撤去して,警察の協力しまくる今の母校とは180度違う世界がみえてきます。

(KU理で鮎の研究をされていた)芦田譲治先生は、私が学生時代には学生部長で、色々お世話になりました。後に愛媛大学学長を勤められました。
クリスチャンでした。当時は、芦田先生だけでなく、学生課長や学生課員もデモに付き合い、逮捕されたら、府警と交渉もしてくれました。
神岡係長(後に、島根大学事務局長)などは、食事に困窮する貧乏学生を食わしてくれ、卒業時には飲みに連れて行ってくれました。
学生というか人が好きな学生部であり、大学であったような気がします。
総長には、奥田東さんがおられました。
2018/11/1

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